新しい欲求理論

               S&S (2015年8月)

1.承認の欲求

 欲求は脳の働きであることは疑いない。承認の欲求というのがあるが承認の欲求を司る部位がはたして脳に実際 あるのだろうか?
 承認の欲求は、他人に認められたい、という欲求である。
 承認の欲求とは、皆と同じことをしたい、という欲求と、皆と同じことをしていることの確認の行動をしたい、 という欲求の和である。承認の欲求は、皆と同じことをしたいという欲求と行動したいという欲求に、分割できる。
 例えばテストで百点をとって認められたい、というのは承認の欲求だが、これは、百点満点は素晴らしいという 皆と同じ価値観を持ち、かつ、それを実行したいという、二つの欲求が一緒に働いて出てきた状態である。
 皆と同じことをしたいという欲求なら脳のある部位にあると考えるのは許容できる。同様に行動したいという欲求が 脳のある部位にあると考えるのは許容できる。脳の実際の働きをかんがみて我々は承認の欲求をより素な二つの欲求に 分割できた。

2.友情の欲求

 友とは、個人の、人と同じことをしたいという欲求の対象である。友人と同じことをしたいのである。
 友人を大事にする理由は情報の出どころ(つまり同じこと)を大事にしたいという気持ちに他ならない。友は、 人と同じことをしたいという欲求を実現するために必要なのだ。
 友情の欲求は、人と同じことをしたいという欲求の1表現であることがわかった。

3.愛

 人には、あることを育てはぐくみたい、という欲求がある。
 例えばガーデニングやペット。それらは植物を育てたり動物を育てたりする欲求である。
 行為を育てることもある。ある所のドアが引いて開いたとすればその人は次回からも引いて開けようとするだろう。 これは、ドアを引くという行為を育てはぐくんだ結果である。連立方程式が消去法で解けたならば次回も消去法で 解こうとするだろう。これは消去法で解くという行為を育てはぐくんだ結果である。
 育てはぐくむということは、自分と関係があることを育てはぐくむということである。
 自分と関係があることの代表的なものは血のつながりである。血のつながるものへの愛情は、 自分と関係のあるものを育てはぐくみたいという欲求が生み出した感情である。
 自分と関係のあるものを育てはぐくみたいという欲求が生み出した感情が愛である。
 異性愛は性欲の対象を育てはぐくんだ結果である。博愛は人と同じことをしたいという欲求の対象、つまり人を 大事に育てはぐくんだ結果である。
 あることを育てはぐくみたいという欲求は素な欲求であり人間の脳のある部位を占めている。

4.社会

 Wikipediaによると、社会とは人間と人間のあらゆる関係を指す、と記されている。
 人と人とのつながりこそ社会の根幹を成すといえよう。
 人とつながりたいという欲求があるが、つながりたいということはどういうことなのか。つながりたいということは 人と同じことをしたいという欲求の帰結と言ってよい。
 人と同じことをしているうちに人のつながりができ、社会が生まれるのだ。
 つまり社会の根底にある欲求は、人と同じことをしたいという欲求に他ならない。

5.支配の欲求

 マァレーはその著「パーソナリティ」で支配の欲求とは、他人に対して権力をふるおうとする意志のあらわれ、 例えば強要、説得、けしかけのようなものである、と述べている。
 支配の欲求は、自分と同じ考えを他人に実行させたい、という欲求といえる。人と同じことをしたいという 人間の欲求を利用した欲求であるが、支配の欲求が司る部位が脳にあるとは思えない。支配の欲求とは人と同じことを したいという人間の欲求を利用した自己愛、つまり自分と関係のあるもの(自分も含む)を育てはぐくみたいという 欲求の一つであるといえる。
 (攻撃の欲求も自己愛に基づくものである。)

6.三大欲求

 性欲、睡眠欲、食欲は三大欲求と呼ばれたりする。
 性欲、睡眠欲、食欲はあらためて説明するまでもない欲求であろう。これらは、素な欲求である。 そしてこれらの欲求を司る部位が脳にあると考えられる。

7.苦痛回避の欲求

 苦痛回避の欲求は、苦しみや痛みを避けようとする欲求であり、素な欲求である。
 マァレーは、傷害回避、屈辱回避、非難回避の三つに分類しているが、これらは全て苦痛回避の欲求である。 そしてこの欲求を司る部位が脳にあると考えられる。

8.行動欲求

 行動欲求とは他の欲求があらわれた時、それを実行する欲求である。行動欲求が欲求でなく、単なる働きであると 考えるのは間違っている。
 例えば他の欲求がなくても人には何かしたい、という欲求がある。これは行動欲求である。
 ある人が朝起きると目隠しをされていたとする。するとその人はわけもわからずに手足を動かしてみたり するだろう。これは純粋に、行動したいという欲求が人間の内にあるからである。
 ともかくも何かしてみかえりを望む行為に、賭ける、というのがある。これは一つの行動欲求のあらわれであろう。

9.排泄の欲求

 これは排泄したいという欲求であり、素な欲求である。

10.母子

 子は母を求める。これは素な欲求である。これを子の母を求める欲求と呼ぶことにする。
 母も子をいつくしむ。これも素な欲求である。これを母の子を求める欲求と呼ぶことにする。

11.新しい欲求の分類・素な欲求の分類表

 以上の議論によりマァレーが分類した欲求群が、脳の生理学から観た場合、より素な欲求群から 構成されていることがわかった。そのより素な欲求をあらためて列挙すると、

 @ 人と同じことをしたいという欲求
 A あるもの(自分と関係のあるもの)を育てはぐくみたいという欲求
 B 性欲
 C 睡眠欲
 D 食欲
 E 苦痛回避の欲求
 F 行動欲求
 G 排泄の欲求
 H 子の母を求める欲求
 I 母の子を求める欲求

以上10個になる。マァレーはその他にもたくさん欲求を挙げているがそのほとんどは社会的欲求であり、 @の人と同じことをしたいという欲求、もしくはAのあるものを育てはぐくみたいという欲求が複雑に からみあって発現した欲求である。

12.逐次処理される欲求と並列処理される欲求

 脳の生理学的に欲求を素な欲求に分類するとおもしろいことがわかった。
 全ての素な欲求(11.で挙げた10個の欲求)は、逐次処理される欲求か並列処理される欲求のどちらか であるということである。
 コンピュータ処理またはプログラミングにおいて1つずつ実行する形態を逐次処理と言い、それは従来の技術の 中心であった。
 コンピュータ処理またはプログラミングにおいて複数のCPUなどに処理を分散、割り当てなどして並列して実行 できるようにした技術を並列処理と言う。
 人間には先に挙げた素な欲求があるが、この素な欲求に関しても(他の素な欲求に対して)逐次処理される欲求 (以下、素な欲求を単に欲求と呼ぶことにする。)と(他の欲求に対して)並列処理される欲求があることは 全く知られていない。
 逐次処理される欲求と並列処理される欲求があることを我々は認識すべきである。
 11.で分類した欲求のうち、@BCDGHIが逐次処理される欲求である。Aは人間では並列処理される欲求である (動物ではAは逐次処理される欲求である。)。Eはおとなでは並列処理される欲求である(こどもはEは逐次処理される 欲求である。)。Fは普通は並列処理される欲求である(たまにFが逐次処理される欲求である人がいる。)。

13.具体例

 排泄をしながら食事を摂る人はいない。これはGの排泄の欲求が逐次処理される欲求であり、Dの食欲も 逐次処理される欲求であるためである。逐次処理される欲求同士は同時に満たし得ない。一方が満たされている時 他方は停止している。満たすには順番があるのである。これは逐次処理される欲求が一列に並んで満たされるのを 待っている様子を想像すればよい。
 また、排泄しながら性交する人もいない。これはGの排泄の欲求が逐次処理される欲求であり、Bの性欲も 逐次処理される欲求であるためである。理由はこれも同じである。
 くどいようだがまた、食事を摂りながら性交する人もいない。これはDの食欲が逐次処理される欲求であり、 Bの性欲も逐次処理される欲求であるためである。理由はこれも同じである。
 楽に仕事ができるよう、努力することは可能である。これは楽に仕事をする、つまりEの苦痛回避の欲求と、 努力する、つまりAの自分と関係のあるものを育てはぐくみたいという欲求が、共に並列処理される欲求である ためである。並列処理される欲求同士は同時に満たし得る。片一方が満たされている時もう一方が強制的に 停止してしまうことなどあり得ない。これは横に複数列ならんで並列処理される欲求が順番を待っている様子を 思い浮かべればよい。
 逐次処理される欲求と並列処理される欲求とは同時に満たし得るのか?答はイエスである。一方が逐次処理されてても 他方はそれに関わらず並列処理されるからだ。
 例えば、おなかがすいて、ひもじい思いをし、そのひもじさという苦痛を減らすべく食事をして食欲を満たすということは 可能である。これはDの食欲は逐次処理される欲求であるが、Eの苦痛回避の欲求は並列処理される欲求であるために 起こる。
 まだまだ例を挙げればきりがない。あとは考えてみて下さい。

14.性

 人は他人と同じ性交をすることはできない。これは@の人と同じことをしたいという欲求が逐次処理される欲求 であり、Bの性欲も逐次処理される欲求であるためである。しかし、人と同じ対象(相手)と性交することはできる。 これは対象となるものが性欲をはぐくんだもの(A)であることに他ならない。Aの育てはぐくみたいという欲求は 並列処理される欲求だからだ。これは職場などの体制維持や、知の創出のためにしばしば行われている。

15.善と悪

 悪の代表的なものとして性欲がある。性欲がなぜ悪なのか考えてみよう。
 そもそも善とは何なのか。結論をいえば@の人と同じことをしたいという欲求が引き起こす行動こそ善である。 みなと同じであれば悪ではない。
 @の人と同じことをしたいという欲求は逐次的に処理される欲求である。ところがBの性欲もこれまた逐次的に 処理される欲求である。複数の逐次的に処理される欲求は同時に満たされることはない。一方が満たされている時には 他方は停止している。
 性欲が満たされる時は、人と同じことをしたいという欲求は満たされないわけだ。必然的に、人と同じことをしたい という欲求を支持する善は性欲によってもたらされる行動を否定することになる。これが性欲が悪である理由である。
 Dの食欲もCの睡眠欲も、人と同じことをしたいという欲求と同じ、逐次処理される欲求であるから悪い面があることは いなめない。「食べてばかりいて」とか「寝てばかりいて」という非難の言葉はそれを象徴している。

16.粘着気質と行動欲求

 Fの行動欲求は普通の人は並列処理される欲求に所属するが、たまに逐次処理される欲求に所属する人がいる。
 クレッチマーはがっちりした体型の人は粘着気質であると分類した。それはクレッチマーの直観によると彼は 言っている。私も直観で、行動欲求が逐次処理される欲求に所属する人は粘着気質であると言いたい。粘着気質には 例えば頑固な側面がある。

17.おとなの脳とこどもの脳

 おとなの脳とこどもの脳の違いは一体何か。明らかに理解できるのはおとなの脳はEの苦痛回避の欲求が並列処理される 欲求に所属し、こどもの脳はEの苦痛回避の欲求が逐次処理される欲求に所属しているということだ。
 例えばDの食欲。食欲とはひもじいという苦痛の感情が減る方向に行動して初めて満たされる欲求だ。苦痛回避の欲求(E) が介在する特殊な欲求だ。こどもは食欲と苦痛回避の欲求とが共に逐次処理される欲求なのでうまく食欲を満たせない。 それらの欲求は同時に満たせないからだ。これは食物を自分で探すことができないという結果にも反映する(おとなに 頼る。)。おとなは苦痛回避の欲求が並列処理される欲求であるから、苦痛回避の欲求と食欲とは同時に満たし得る。 おとなはじょうずにひもじいという苦痛を回避して自力で食物にありつけるのだ。
 苦痛回避の欲求は12歳ぐらいで逐次処理される欲求から並列処理される欲求へと移動し始める。20歳ごろ移動し 終える。移動し始めたころが自我の芽生えであり、移動中が思春期である。
 逐次処理される欲求が居座る脳の構造と並列処理される欲求が居座る脳の構造の違いが発見できれば、人為的な手法に よってこどもの逐次処理される苦痛回避の欲求を並列処理されるものへと変えることができるだろう。倫理的な問題はあるが こどもの脳をおとなの脳に変えることができるのだ。

18.人間の脳と動物の脳との違い

 人間の脳と動物の脳とは明らかに違っている。それは大脳の大きさの違いだという人もいる。
 人間と動物との著しい違いは、Aのあるものを育てはぐくみたいという欲求が動物では逐次処理される欲求に、 人間では並列処理される欲求に所属するということだ。
 あるものを育てはぐくみたいという欲求を他の様々な欲求から独立させ(並列に実行させ)高度な知能を人間は 獲得したのである。
 あるものを育てはぐくみたいという欲求は、進化の過程で、逐次処理される欲求から並列処理される欲求へと 移動したものと思われる。
 逐次処理される欲求が居座る脳の構造と並列処理される欲求が居座る脳の構造の違いが発見できれば、人為的な手法に よって動物の逐次処理されるあるものを育てはぐくみたいという欲求を並列処理されるものへと変えることができるだろう。 倫理的な問題はあるが動物の脳を人間の脳に変えることができるのだ。

参考文献)
 欲求の分類に関しては、
1)マァレー、外林大作「パーソナリティ第1巻」誠信書房1961年
が有名である。
2)齊藤勇「欲求心理学トピックス100」誠信書房1990年
も面白い。

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